レデンプトール修道会がはじめて日本の土を踏んだのは、1948年5月8 日のことです。当時の日本では戦争が終わって信教の自由が確立され、キリスト教への関心が高まっていました。しかし国内にはその期待に応える充分な数の聖職者がいなかったため、海外から多くの修道会が布教のために来日していたのです。そのような状況の中、横浜教区司教の招きに応じたのですが、カナダのケベック州にあるセント・アン・ド・ボーブレ教区でした。まず鎌倉に、翌年には東京に修道院が開設され、小教区での司牧を中心に活発な活動が行われます。やがて宣教は信州にもおよび、1955年には準管区に昇格しました。
セント・アン・ボープレ管区からわずか1ヶ月遅れで大阪教区司教の要請によって来日したのが、同じくカナダのトロント管区からやってきた会員たちです。彼らは京都府の北にある丹後・丹波地方を宣教地としてゆだねられ、地域内の各町村に教会を建てるほどの精力的な活動を行いました。1951年に準管区に昇格し、1956年には大阪府下に進出して吹田教会を創建しましたが、1982年に東京準管区と合併しました。
一方、九州の鹿児島には1953年にドイツのミュンヘン管区から会員が派遣されました。彼らは川 内、出水、加世田、谷山で宣教を開始し、日本の 南端での地歩を固めます。1958年に徳之島、1962年には沖永良部島での司牧も引き継ぎまし た。いまでは離島への宣教は与論島へまでもおよ んでいます。1966年に鹿児島準管区として昇格し、1975年には活動の場を長崎にも拡げました。
このように現在、日本におけるレデンプトール会は、関東・信州、関西を中心に活動する東京準管区と、九州南 部を基盤とする鹿児島準管区に別れています。しかし近い将来には合併して日本管区となることをめざし、黙想 会の指導や司祭にの転任など、さまざまな形で相互に交流しています。とくに修道者の養成は一致協力して進め られており、それぞれの準管区からの志願者・神学生の教育は、東京・初台の大神学院と西舞鶴の修練院で行われています。
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Congregatio Sanctissimi Redemptoris