イコンというビザンチン様式の絵画法で描かれたこの聖母子は、
15世紀中頃にオスマン・トルコのイスラム教支配からクレタ島に逃れた
無名の画家の手によるものです。同世紀末になってローマの聖マタイ教会に移され、
3世紀に渡って人々の崇敬を受けていましたが、1798年にフランス革命の余波で聖堂が破壊され、
長い間行方不明になっていました。1863年になってやっと見いだされ、
聖マタイ教会の跡地に建てられていた聖アルフォンソ教会の中央祭壇に、
教皇ピオ9世の手で再び掲げられました。以来レデンプトール会はこの聖画への
崇敬と普及の使命を委託され、今日にいたっています。
 
 

■ マリアのまなざし
まず目に飛びこんでくるのは、聖母マリアです。彼女はイエスでも天の国でも、まわりの天使たちでもなく、大切なことを伝えるかのように、私たちにまっすぐにまなざしを向けています。

■ マリアの背景と衣装
中世の時代に天国のシンボルとされた金を背景にしていることから、聖母マリアは天の住人であることが分かります。胴着の赤はキリストの時代に未婚の女性に用いられた色、緑の布で裏打ちされたマントの紺は、パレスチナの母たちが着用した色。つまり、マリアは処女でありながら母であることを示します。しかも赤・緑・紺は王族の色で、この絵が描かれた当時、皇后にしか使用が許されていませんでした。また頭部の大きな星は、マリアが私たちをキリストのもとへと導いてくださる星であることの象徴です。その横の小さな星も、この意味を強調するために添えられています。

 

MP ΘYの文字
マリアの左右頭上にある文字はギリシャ語で「神の母」を表す頭文字です。

■ イエスの衣装
マリアと同様、イエスも王族のみに許された色を着用しています。皇帝だけが緑の胴着を着て赤い帯を締め、金襴の布をまとうことができました。

■ IC XC
幼子の右に置かれたこの文字は、ギリシャ語で「イエス・キリスト」を表す頭文字です。

落ちそうなサンダル
かろうじてイエスの足にぶら下がっているサンダルは、私たちの魂の象徴です。これはたった一本の紐でもよいから、キリストにつながれていれば必ず救われるということを表しています。また、イエスは私たちを見ているのではなく、まして母マリアやまわりの天使たちを見ているのでもありません。なにかとても恐ろしいもの、あまりの恐ろしさにサンダルが落ちそうになるほど急いで母のもとに走ってきて、必死にしがみついて守ってもらわなければならないものを見てしまったのです。

■ キリストとマリアの手
イエスは恐れをすべて母マリアに託すかのように、両手で彼女の手をしっかりと握っています。これは、天の父から与えられた贖罪の恵みを聖母に託し、彼女に取り次ぎを祈り求める私たちに、その恵みを分かち与えることをゆだねたという意味です。また一方、マリアの右手はイエスの両手を握り返す代わりに、柔らかく開かれています。イエスと同じように、私たちも苦しいときにその手をゆだねなさいと、私たちがすがりつく場所を空けてくださっているのです。


ここでもう一度、マリアのまなざしに戻りましょう。この聖画は、イエスが幼いときから将来の運命を知り、それについて考えていたこと、そしてマリアもそれを知り、心の中で堪え忍んでいたことを表しています。 聖母はすべての人々を愛し、ご自分の子の受難がなければ救いが実現できないことを理解していたので、あえてこの苦しみを受け入れられました。だからこそ彼女の慈しみ深いまなざしはこの世の子供たち全員に注がれ、神の母、人類の母、贖いの協力者、すべての聖寵の仲介者としてご自身を示しておられるのです。『絶えざる御助けの聖母』という名称は、これらのすべての称号を余すところなく要約しています。

大天使ミカエル[左]と大天使ガブリエル[右]
聖画の左右の天使たちは、頭文字から左が大天使ミカエル、右が大天使ガブリエルであることが分かります。そして彼らが手にしているものが、イエスがあれほど恐れたものの答えでした。どちらもご受難の際に用いられたもの、つまりミカエルは槍と胆汁の器と酢に浸した海綿を刺した草の茎を、ガブリエルは十字架と4本の釘を持っています。そう、イエスはご自分のご受難の運命を知り、そのために動転して母マリアに助けを求めたのでした。

       
 
Congregatio Sanctissimi Redemptoris